いつも平然とした私でいるために① 〜幼少期から振返る〜
- 上野綾香
- 2024年7月5日
- 読了時間: 4分
更新日:2024年10月2日
今日は、いつもと違ったことを書こうと思います。よく、「いつも楽しそう」「いつも違うことしてる」「子育て楽しそう」「大阪のおかん」と言っていただくのですが、そんな私が現在の私に落ち着くまでにやってきたことをご紹介したいと思います。長くなりますので覚悟してくださいね(笑)。
[ 天真爛漫とネガティブ感情が同居 ]
幼少期、母が写真に収めてくれた0歳の頃から記憶にあります。歩くのが早く9ヶ月で歩き始めて昔からおてんばでした。面白いことや、すごいことをして皆に喜んでもらうことが好きでした。"恥ずかしい"という感情に気がついたのは3歳。スカートを履いた時にパンツが見えたら恥ずかしい。と言われたことが始めでした。そこから小学校1年生入学まで"恥ずかしい"に囚われ大人しめな性格でした。程なく「女のくせに」という男子が許せなくて、勝ち気な言葉遣いで威嚇するようになりました。"軽蔑"です。小学校2〜3年でイタズラを知り、友達といる時は跳ねるように遊んでいましたが、同時に持って生まれた想像力の豊かさによって"罪悪感"や"不安"などをどっしりと感じていました。

[ どうみられているか考えなさい ]
小学校の先生には、好かれるタイプの子どもでした。なぜなら幼少期に「大人の言うことを聞いておいたら間違いない、というか人生続かない」と悟ったからです。"悟った"というより"絶望"に近い。時代がそうだったのですが、先生も母も集団生活優位の子育て思考でした。「人に迷惑をかけないように」「どうみられるか考えて行動しなさい」。私のために言ってくれていたと思いますが、今考えると『(自分のことは置いておいて、)集団軸・他人軸で行動しなさい』と言ってるのと同じですね。私は真面目に「どうみられているか考えて」を人生のミッションとして人生を生きていました。でもいけどもいけどもゴールがありません。気がついたらそのミッションに30代まで苦しめられることになります。

[ 存在意義と上がり ]
それまでそのミッションとともに仕事ばかりして生きてきた私は、正直疲れていました。そこで私の存在意義を満たしてくれたのは、長男がお腹に来てくれたことでした。お腹に来てくれたとわかった時も、3日ほぼ徹夜で撮影していました。長男はきっと「お母さん、もうお仕事そんなに頑張らなくていいよ。僕と楽しい毎日をすごそうね」と飛んできてくれたのだと思います。育休をいただきましたが、それ以降も職場復帰せねばという"渇望"、もう使い物にならなくなるの"恐怖"などにも振り回されました。私はいつ「上がり」になるんやろう。そんなことをぼんやり考えていました。すると、コロナ前の2019年、出会いがいくつも起きます。 [ 大学の先輩 ]

私が6年通わせてもらった美大の先輩、のどかちゃん※は美人でちょっと浮いているような性格が面白くて在学中から数年に1回会っていました。私が20代半ばごろ一人旅でベトナムに行こうと思ったのもその時その先輩がいたからでした。たまたま仕事で取引先の方が第六感のある方がいて、その方の不思議体験の話が面白いなと思っていた時に、のどかちゃんから一時帰国すると連絡があり会って取引先の方の話をしてみたら、実はのどかちゃんも幼少期から視える人だったことがわかり驚愕しました。同時に第六感のある方の親切な無料ブログを続けて見るようになり、いわゆるスピリチュアルな話を学ぶことになります。※本人了承済み
[ 本質を知る ]
父が敬けんな神道と浄土真宗で、いまでも家族のために毎朝毎晩、30〜40分お経を唱えてくれています。今でこそ、父のおかげで私たち家族は無事に過ごさせていただいているのだと思っています。そのような環境で育ったので、見えない世界があることは信じていましたが詳しく学んだことはありませんでした。学び始めて出会った本はたくさんあり、ぜひ興味ある方に読んでみてほしいと思っています(また改めてご紹介します)。
本質を一言で言うとすれば、「ありのままの自分を愛せ」。ということです。
ご覧いただきありがとうございます。
つぎは、ありのままとはなにか、私にとって本当の「上がり」を書きます。
お楽しみに♪
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土に還る暮らしを楽しもう!
Live toward the soil, sprouts appear.
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