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 うちのオリーブの木の下に、2020年に購入した桑の木があります。

桑の木はマルベリーという木の実ができるので、長男と、当時はお腹にいた次男とがお庭遊びの時に、おやつに食べてくれらたいいなぁという思いからでした。


[ 桑の木の生命力 ]

 初めは鉢植えのまま1年ほど素焼きの鉢で育てていましたが、素焼きの鉢はプラスチックの鉢よりも通気性がいいので水切れしやすい。どこが水切れしにくいか、庭いじりの度に配置換えをして、ひとまずオリーブの木の下が適度な日陰と湿気で良さそうと仮置きしました。気がついたらぐんぐん大きくなって少し実をつけるように。小さい鉢なのにすごいな、と移動させようとしたら根が鉢底穴から飛び出して地面と繋がっていました。桑の木を傷つけないように鉢を割り、段差に土を盛っておきました。


[ キエーロが置き肥 ]

 隣のオリーブの木の話になりますが、2015年の引越し時に植えていました。一般的によく伸びるそうですが、近くに土置き型バクテリアdeキエーロを置いたのが2020年4月。キエーロが置き肥の役割になって、細い根が下から上がって来ていました。それまでの5年の成長スピードをはるかに超え、大きくなってオリーブの実もたくさんつけるようになりました。私が庭の土を肥やし始めたのも2020年。庭全体の写真(before2015年/after今年)を見てもらうと、いかに豊かさが増したかおわかりいただけると思います。同時にいろんな失敗や夫からの小言もいただきましたがそれはまた改めて書こうと思います。





 話を戻しまして、マルベリーは実る数を1年ごとに倍へと増やしていきました。2021年は片手に収まる程度。2022年は両手分、2023年は両手2杯分、今年は両手4杯分でした。赤い実はかなり酸っぱいので、どの実が熟して美味しいのか上手に見分けて子どもたちは食べます。まとまった収穫もその時に美味しそうなものだけ採り冷凍庫にストックしておきます。全て収穫が終わったらコンポートに。毎年強めに剪定しているのに、こんなに実をつけてくれるのは、先に出たキエーロのお陰に違いありません。


[ 植物の連携 ]

 どういうことかというと、未来の暮らし研究所のゼミの時間に四井さんに庭の配置を話したところ、オリーブの木が近すぎるから窒素分が多すぎて枯れてしまうよ とアドバイスをいただいていたのですが、桑の木が余分な栄養分を吸い上げて調整してくれているのだと思います。キエーロのとなりに桑の木はないのにどうしてか、疑問に思いますよね。植物は地中の微生物ネットワークで水分や栄養を足りない仲間に分けてあげるんだそうです。もちろん地上でも連携はとります。例えば枯らす虫が来た時は伝達ホルモンを発生させて風に乗せて伝えていることがわかっています。(※NHKスペシャル超進化論)



 桑の木は栄養を吸い上げる植物。四井さんが家族で住まう土地も元は絹をつくるためお蚕さんが食べる桑の木畑だったそう。桑の木が土地の栄養分をたくさん吸い取ったため、四井さんの土地は購入当初豊かではなく、作物を育てるのに苦労したという話を聞きました。我が家では桑の木がオリーブを介してキエーロの栄養分を吸い上げてくれていることで、オリーブの命の存続にもなって、美味しい実もたくさん食べられる。植物の連携ってすごいなぁと思いました。



ご覧いただきありがとうございます。

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土に還る暮らしを楽しもう!

Live toward the soil, sprouts appear.





 


年に数回帰省する実家の裏庭を活用したい!

1つ前のお話では前日の夕方に決意し両親に了承を得て、納屋の道具の確認をし、翌朝7時から耕し始めました。この日は9時半には家を出て家族でいちご狩りと、変わり自転車を乗りに行きます。


[ 流血 何事もサイン ]

2つ目の場所を耕し終わって、体力と時間的にもう1箇所できそうだったので3つ目の場所も同じように別の柿の木の近くの剪定枝が置いてあった場所を掘ることにした。夢中で堀り返している途中、素早く動くものを発見。美しい5本線のニホントカゲの幼体だった。捕まえて子どもに見せようと追いかけるも、小枝や草の下に隠れてなかなか捕まらない。ようやく捕まえた!と勢いよく立ち上がって振り返ったところで柿の木に額をぶつけた。温かいものが流れるのがわかり、とっさに軍手の甲で抑える。軍手の甲は真っ赤に血で染まっていた。それでも見せたい気持ちで離さなかったが(諦めが悪い)このトカゲは畑の主だとすぐ思い直し、離した。謙虚さを忘れずにとわかりやすいサインで諭される私であった。



[ 入手した資材と畑の材 ]

家族で変わり自転車を乗りに出かけた先は実家の最寄りのダム。ダムを見渡せる歩道の両脇に子ども達が絵付けした鯉のぼりが飾ってあった。それぞれ青竹の先で気持ちよさそうにたなびいていた。変わり自転車を乗り終えて再びその歩道を歩いて帰る途中、ボランティアスタッフに自分の鯉のぼりを取り外してもらって竹ごと持ち帰る親子とすれ違った。

親:「ちょっと長いので車に入るよう2mくらいに切ってもらえますか」私は聞き逃さなかった。いのちの仕組みの暮らしを実践していると、こういう会話をアンテナがキャッチする。案の定、歩道の端に軽トラが止まっていて、たくさんの切られた青竹が載っていた。ボランティアスタッフがカットしている横で私は「その竹、もしこのあと捨てるだけでしたらいただいてもいいですか?野菜の支柱とかに使いたくて」と聞いてみた。スタッフの方は「あ〜いいですよ!処分するだけなんで。みんな思ってるけど口にださんのよ〜。」と言ってました。口にだそうよもったいない!あ、いろんなことを気配りしての口にださんのかな??丁寧に長いのを選んで結んでいだたき15本ほど持ち帰ることができました。ありがとうございますー!


実家に帰り家族を置いてすぐにひとりでホームセンターへ。ワクワクがとまらない!

到着するや否や、滑り止めつき作業グローブを買う。母方の祖母からの遺伝で指の関節が痛んで徐々に膨らみ固まるへバーデン結節の予兆があるが、そんなことは気にせず資材を鷲掴みしてパフォーマンスUPするために!!


耕した1つ目の畝の隣に、昔父が海釣り用に使用していた破れたゴムボートが置いてあり、その上に伸びた菊芋の茎を刈ったものが重ねて置かれていた。父は、ゴムボートの下は日光をさえぎるので除草用、菊芋の茎は一旦置いていただけなのだと思う。今日はそれらを利用する。ゴムボートの下は草が生えていないので畝を整える時に使用する土をすぐにとり出せ、カラカラに乾いた菊芋の茎は炭素源として畝の一番下に敷こうと決めていた。

購入した資材は、今日植え付けができるように 完熟腐葉土40Lを2袋、窒素源として ぼかしペレット1袋、効果が穏やかなので当日植えもできる 牡蠣殻石灰1袋、微生物のすみか 籾殻燻炭1袋、保水と分解促進 黒マルチ1本と留め具。両親が5年は土の管理をしなくてもいいようにレイズドベッドを参考にした平畝作りにする。

野菜は、トマト、とうもろこし、さつまいも、かぼちゃ、えだまめ、畑に自生するにら。両親だけで放置気味に育てても何かは収穫できるのではと思う。



[ 父と娘 ]

家に到着すると連絡してないのに両親が表に出て待っていた。大学のころ軽自動車で片道2時間かけて隣の県の端まで通っていたころも、帰ると父がよく表で待っていてくれた。幾つになっても私は娘なんだなぁ。この時もう17時前。日が暮れるまでに全て終わらせたい。両親が資材を畑まで運ぶのを手伝ってくれた。流血したため耕しを中断した3番目の場所を、

気合を入れて耕し始めると、父が何かできることはないかと声をかけてくれた。体力的に動作に限りがあるけど、菊芋の枝・腐葉土を撒き・ぼかし撒き・牡蠣殻石灰撒き・散水を手伝ってくれた。黒マルチも協力して張り、両脇は昼間いただいた青竹を錆びた手斧と祖父が使い込みすぎて真ん中が削れた木槌で半分にカットして留め具で抑えていく。「そんなことも知ってるのか」と驚く父。「知ってはないけどこうしたら便利かな?と思いついたらすぐやってみてるだけ、青竹はトマトの支柱にしよと思ってたけど」


↓ 畑を耕す様子を動画にしました!



無事日暮までに完成!最後にもう一度散水してもらい終了した。ボートの下の土をたくさん使ったのでくぼみができたため、硬い徒長枝をいれて軽く土をかけボートを被せておいた。じっくり時間をかけて土になってね。

大阪に帰ってから父に毛細管現象を起こすためにマルチの上に重しを2箇所ほど頼んだ。次の日に父から軽快な了解連絡がきたけど、母に聞くと疲れて1日寝ていたらしい。実は私も5日間ほど全身が筋肉痛だったことは伝えていない(笑)


これで20年放置していた実家の裏庭を耕す話はおしまいです。

ご覧いただきありがとうございました。 次は別のお話を予定しています!


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前回のお話は、年に数回帰省する実家の裏庭を活用したい!

という思いを前日の夕方に決意し両親に了承を得て、納屋の道具の確認をしました。


[ 道具をみつける ]


薄暗い納屋から使えそうな道具を探す。耕運機、草刈機2種類、グラスファイバーのビニールトンネル押さえの束、いろんな種類の網、錆びた鍬2本、錆びた備中鍬1本、錆びた手斧1本、木槌1個などが見つかった。前2点は父が導入したもののようだった。でも耕運機は故障中で使用不可だそう。



朝7時から土の様子を観察、畑の表面にある使えそうな材の確認、どのような畑にするか、両親だけで放置気味に育てても問題ない作物の選定、最低限追加購入する資材などをぼんやり考えた。一旦心を整えて土の神様と祖父母やご先祖が守ってきてくれたこの場所を耕させてもらうことをご挨拶して手を合わせた。そのあとはサビだらけの鍬で黙々と耕した。鍬2本のうち1本はとめ木が緩んで刃が抜けた。


[ 土の違いは草と虫でわかる ]


1つ目の場所を耕し終わった。密集する草の根を掘り上げるのは力仕事。その下は質感が真砂土に近い土だった。生えている草で土の質がわかるというがその通りで、びっしりと浅く根を張る稲科の雑草が多く生えていた。耕していて生き物が少ないとこにも気がついた。うちの庭はダンゴムシやナメクジ、ヤスデ、ミミズがたくさんいるがこの畑は材の周りや下のみカタツムリやわらじ虫がいて、草を耕している最中はミミズ1匹しか出会わなかった。



2つ目の場所は柿の木の剪定枝が置かれていた場所にした。ここだけ雑草の種類が少し違い、土はふかふか。虫の種類も違っててんとう虫もいた。

朽ちた柿の剪定枝を避けながら耕していく。何度が鍬を振るとガシュ!と音がして下から赤い看板が出てきた。昔祖父母が金物屋を営んでいた時の看板を、古い風呂釜のため水のフタにして利用していたものだった。



[ 幼い頃の記憶 ]


風呂釜は、畑の中央に置かれていた。幼い頃から、近くに行っていい時はそこを覗き込むのが好きだった。いつもミジンコや他の小さな生き物がいたから。祖母は若い苗へ水やりする時に手桶ですくって優しく撒いていた。すぐそばでは見れない時も、私は2階の自分の部屋から何をしているかじーっと見つめていた。別の日、祖父が畑仕事をはじめようと畑に入る姿が見えた。風呂釜の方へ行くや否や、おしっこをしたのだ。私はショックでなぜ大の大人がそんなところでおしっこをするのかと少し嫌いになった。母にも言ったが母は祖父に特に何も伝えてはくれなかった。祖父はなぜ、風呂釜におしっこをしたのか。そこからさらに祖父との心の距離感は離れてしまった。

実は、ごく最近その謎が解る日が来たのだ。四井真治さん千里さんのオンラインサロン未来の暮らし研究所の1年目、四井真治さんがご自宅の温室内に雨水利用をしているアクアポニックスのドジョウを放っているプールがあり、そこにオシッコをいれているというのだ!栄養を与えて植物性プランクトンを増やし、動物性プランクトンが食べることでドジョウの餌になるという。



当時の私になぜ祖父に直接質問しなかったのか、問いたい。おじいちゃん、ごめんね。でももっと教えといてよね〜。四井さん千里さんからの学びは地球のことがより理解できると同時に自分の存在を認める考え方が気持ちがいい。そして時折、だから祖父母はそうしていたのか!という答え合わせが見つかりとても面白い。



ご覧いただきありがとうございました。つぎも、耕すお話しの続きです。


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